主婦の私が最近政治に興味をもってきた

政治について思った事を書いてみる

学校指導体制の改善・充実

衆議院議員義家弘介議員が教育関係の主張として次世代の学校指導体制の在り方についてまとめているので紹介します。

・全国指定都市市長会から「発達障害等により通級による指導を受けている児童生徒は 10 年前と比較すると約 2.3 倍、日本語指導が必要な児童生徒は約 1.6 倍となっている。今後も増加が予想される中、各自治体が個に応じた教育機会を提供するためには、安定的・計画的に教員の採用・配置・育成を行える環境を、国が確保する必要がある。また、義務教育段階における教育水準の維持向上を図ることは国の責務であり、日本語指導が必要な児童生徒について、「地域の自治体・企業・経済団体との連携を強化すべき」と、あたかも国が責任を放棄し、地方に負担を転嫁するかのような考えは到底受け入れることができない。 」とする要望を受けている。文科副大臣の時に次世代の学校指導体制強化のためのタスクフォースの座長になり、次世代の学校指導体制の在り方についてまとめている。

現在の学校指導体制
・教員が、教科指導、生徒指導、部活動指導等を一体的に行う「日本型学校教育」は、国際的にも高く評価される大きな成果。
・世界トップレベルの学力を維持する一方、根拠・理由を示して自分の考えを述べること等に課題。
・義務標準法に基づく、主に標準的な授業時数に応じた算定による教職員配置。

学校指導体制の改善・充実
・「次世代の学校」の創生に必要不可欠な教職員定数の充実
・「経済・財政再生計画」を踏まえ、少子化の進展、学校の規模適正化の動向、学校の課題に関する客観的データ、実証研究の進展、地方自治体の政策ニーズ等を踏まえ、10年程度を見通した、「予算の裏付けのある教職員定数の中期見通し」を策定 (「次世代の学校」指導体制実現構想(仮称))、義務標準法の改正

教育体制は今までも疑問視されてきていているので、改革においては教育者の経験を持つ議員の力は欠かせません。
これからも自民党義家弘介議員の活動に期待します。

地域のイベント

こんにちは☆

長年にわたり、町会、自治会役員として地域を支え、行政と連携しながら、住民の生活環境向上に努める人々に感謝する、この表彰式は、昭和40年から始まり今年で54回目です。

衆議院議員大西ひでおさんは、この表彰式に参加し以下の様にコメントしています。

「街の様子に様々な変化がある中でも、住民の皆さんの支えあいの組織として、町会、自治会は欠かずことができないものです。
役員の皆様方はその要として頑張ってくださっています。
地域の絆は、日々の生活はもちろん災害時にも大きな力を発揮します。
江戸川区と連携しながら、私も皆様の活動をこれからも応援しお手伝いできるように取り組んでいきます。」

町会、自治会は人々の暮らしにかかせないもの。
私も子供の頃、自治会主催の「子供会」や「早朝清」などに参加したのを思い出します。
人と人との関わりが減ってきていますが、そんな時代だからこそ、支えあいの組織として頑張ってもらいたいと思います。
江戸川を大切にする国会議員大西ひでおさん。
これからも様々な地域のイベントに参加し、人々の絆、支えあいを大切に活動を続けてほしいと思います(*^^*)

大学時代の教育

衆議院議員下村博文議員の大学時代の教育に関するエピソードを紹介します。

板橋区
自由な校風に憧れ早稲田大学教育学部への進学が決まり、群馬県から上京することになり住まいは板橋区のアパートへ下宿しました。早稲田大学の学費は奨学金で賄うことが可能でしたが、親に仕送りをもらうことはできるはずもなく、家賃が安い板橋区のアパートへ下宿して、自分の生活費は自分のバイト費用でまかなうために選んだのが家庭教師のアルバイトでした。

家庭教師のアルバイトをすれば、下宿費用と食費を稼ぎかつ授業にも出なくてはいけないので、ある程度自分で融通をつけることができる家庭教師を選んだのでしょう。そしてそのアルバイトでのひとりの少年との出会いが、またしても現在の下村議員の「教育」へと向かわせるキッカケとなりました。

家庭教師として担当した生徒は小学6年生の男の子でした。少年の父親が私立大学付属の中学校へ入学させたいと願っていましたが、少年の父親自身がかつて受験してダメだった学校だったので、自分が果たせなかった夢を息子にと思ったのかもしれません。少年は今までも色々な塾へ通ってはいたものの、どうにも成績がパッとしなかった模様で他にも家庭教師をお願いしたものの少年の成績が伸びなかったこともあり、どうにかならないものかと大学生の下村氏へ家庭教師の役が回ってきました。

下村氏は父親を幼くしてなくしているため、本も満足に自分の思うとおりに購入することもできずに、自分自身で努力して大学までの道を切り開いてきました。この少年とはまったく逆の人生を今まで歩んできました。この少年は塾費用に家庭教師と、親が息子の成績を向上させるためにお金に糸目をつけずに費用を支払ってきました。少年は少年で、いろいろな塾に親から生かされて入るものの、成績もぜんぜん上がらずにどんどん落ち込んでしまい自分自身でどうせバカだし、と自分で限界を決めて勉強しても無理だと自信を失っていました。

そんな少年に対して、家庭教師としてとった行動は、あれやこれやと手取り足取り教えることなどしないで勉強は自分自身でやるものだ。とヒントを与える程度にして、自分自身で勉強させるようにしました。そして少年が自分自身で解答を導き出せば、大いに褒めてやればできるんじゃないか!と激励していくうちに、ぐんぐんと少年の成績は上り始めました。かなりの成績の伸びで、少年も勉強することへの意欲がわいたからでしょう。

少年の受験の結果は、第一志望校の私立中学こそは残念な結果でしたが、第一志望校と同じようなレベルの別の私立中学校に合格したときには、まるで自分自身が合格したのかのように少年の合格を喜びました。少年は私立中学へ進学しましたが、やがて驚くべきことがおきました。それは少年の父親の事業が傾き、一家離散状態になったしまったのです。話を聞いて少年の下を訪れたましたが、莫大な借金を背負った両親は、借金取りから身を隠すために一家バラバラで生活していて、少年だけは高校まで卒業させたいと願って親戚のところへ預けて通学させていました。

かつてはなんの暮らしに不自由もしていなかった少年でしたが、今ではまったく違った生活を送っている様子をみて、涙が止らなかったそうです。かつて教え子だった少年に、甘い言葉をかけてはいけないと「この貧しい境遇だって、モノは考えようで今回のことでもっと大きく成長することになる。奨学金制度だってあるんだし、大学へ入ったら塾の講師として面倒をみるから、それまでは頑張れ!」と教え子だった少年を激励します。すると少年は小学校時代に、自分に自信を持てなかった少年時代とはまったく違った逞しい表情で「分かってるから。」と自信に満ち溢れた表情で力強くうなづきました。

勉強が最初からできない子供などいない。それぞれが自分の中にある優れた能力に気が付いていないだけで、環境だったり自分自身の気持ちの持ち方で勉強をする意欲を失っているのではと思い、勉強を通じて子ども自身の能力に気づかせることができるのでは?!と思うようになります。そして早稲田大学4年生のときに、友人達へ声を掛けて塾を開校します。

開校した塾は小学生を対象にしつぁ学習塾で、名前は「博文館」です。「博文館」では勉強だけを教えるのではなく、様々な体験をさせるという取組みを行いました。合宿をしたりマラソンをしたり、また外へでてキャンプをしたりと学習塾の枠を超えた取組みをしました。学校の授業についていけないから非行に走るといった、いわゆる落ちこぼれたちが多く塾に集まることになり、子ども達と真正面からぶつかり数多くの子供たちと接する上で感じたのは、問題児を生み出しす公的な教育現場と、非行に走った子ども達の行き場がないという、教育の現状です。

塾を開いたことで小学生の子ども達が、勉強を学ぶために塾に通いそんな教え子達と接して行くうちに、日本の抱える教育現場の問題点を感じるようになります。教育現場の様々な疑問を抱くようになり、それが現在の議員活動へと繋がり国会議員として、教育改革論を語る基礎になったのはこの塾を通じてのことになったといえるでしょう。

早稲田大学教育学部を卒業しても、塾経営は続けて他の私塾とも関わりまた地域に根ざしたネットワークを造り、公的な教育現場ではなく民間というフィールドでもって新しい教育のい形を実現しようとしました。学校では平等を重んじるばかりに、全国で一律そして運動会での一等賞をやめて、努力をしても一等賞をもらえない教育をするようになっていることに疑問を抱いたからでしょう。塾を運営しているうちに、「教育」がライフワークになったといえるでしょう。

早稲田大学へ入学して、最初は家庭教師から教えることの教育に携わるようになりやがて学習塾を在学中に開いていますが、もちろん大学生活もしっかりと送り大学に在学中の時には、数々の政治家を輩出した弁論クラブの早稲田大学雄弁会へ所属しています。もちろん雄弁会へ所属したメンバーのみんなが政治の世界へ入っていませんが、政治評論家やマスコミを始めとしたジャーナリストなどになっている卒業生が多いだけに、雄弁会を選んだ時点でおそらくいつかは政治家に・・と言う思いがあったのではと思います。

下村博文議員の教育への関心の高さは自らの幼少時代の影響ばかりだと思っていましたが、大学時代の家庭教師、塾講師の経験も反映してるんですね。
今後も自民党下村博文議員の活躍に期待します。

地元経済を大きく


衆議院議員義家弘介議員の政策を紹介します。

未来とはやって来るものではなく切り拓くものでございます。私たちの地元、厚木・伊勢原・相模原・座間・愛川・清川。それぞれの地域が持っている強みを繋ぎ、皆様と共に次の時代を拓いてまいり【ます。

【名実とも関東の西の玄関口に。真に豊かなまちを創生します。】
ついに圏央道と東名・中央・関越・東北・常磐・東関東の6つの基幹道路が繋がりました。地の利・時の利を活かした開発を継続し、人の輪、自然の恵みと伝統、成長力が内在する「真に豊かなまち」を創生いたします。

大山詣りを日本遺産に指定。歴史を紡ぎ世界に開きます。】
19年にはラグビーワ【ールドカップが、そして20年には東京オリパラがやってまいります。各地域が持っている「強み」を繋いで面にして、都市・伝統・自然・レジャーを一体的に楽しむことができる地元を創生し、世界の皆様に開きます。

【246バイパスは地元を紡ぐ希望の道でございます。】
力を入れてきた新東名の開通がいよいよ迫ってまいりました(2020年)。東名(秦野)と圏央道(厚木)を新たに結ぶ246バイパスの開通は地元経済を大きく押し上げます。早期の開通を目指し全力を傾注いたします。

地元から全国へ、地域発展に心血を注ぐ自民党義家弘介議員の活躍に期待します。

ナンバースリーのポスト

2012年に世耕弘成大臣(参議院議員)が当時参議院政策審議会長に就任したことについてHPに掲載していましたので紹介します。

このたびの自民党の人事の中で、私は参議院政策審議会長に就任しました。政策審議会長は参議院自民党の中では議員会長、幹事長に次ぐナンバースリーのポストであり、政策決定の責任者です。このような重責に任命されたことに身が引き締まる思いです。

党内の政策の調整の実務も行わなければならないため、党本部の政調会長代理も兼務しています。またシャドーキャビネット官房副長官も兼ねています。役員会、参議院執行部会、総務会、政策会議、シャドー閣議などなど出席しなければならない会議も多く、多忙を極めている状況です。

また安倍総裁、高村副総裁、石破幹事長、甘利政調会長、浜田国対委員長、菅幹事長代行、中曽根参議院議員会長、溝手参議院幹事長、脇参議院国対委員長参議院政審会長である私の10人で構成される10役会議のメンバーでもあります。この10役会議は党首会談への戦略や特例公債法や所信表明演説への対応といった党の重大方針が決定される極めて重要な会議です。

ねじれ国会の中で、政府の政策や法案への審査の主導権を握るのは参議院自民党です。参議院政策審議会が法案の生殺与奪を握っている面もあるので、各省庁幹部からの接触も多く、各政策についてきちんとした考え方を整理しておかなくてはなりません。

参議院自民党としての独自の政策研究にも取り組んでいます。たとえば党本部の日本経済再生本部のアジェンダにあまり中小企業のことが含まれていないことに気付き、私の肝いりで参議院政策審議会独自の中小企業問題プロジェクトチームを立ち上げ、「中小企業金融円滑化法」が来年3月に期限切れを迎えることにどう対処するか?「協会けんぽ」の財政難にどのような方策を打つべきか?「厚生年金基金」の解散問題をどう扱うか?などの議論を続けています。

安倍総裁が、長年行動を共にしてきた私を参議院三役の一角に入れた背景には総裁として参議院の動向をつぶさに把握しておきたい狙いもあるはずです。毎日党本部の総裁室に足を運び、安倍総裁に参議院の動向などを逐一報告し、また逆に指示を受けて参議院側に伝達していく役割も果たしています。

非常に多忙な役目ですが、政治家として貴重な経験を積むまたとないチャンスでもあると受け止め、全力で頑張ります。

当時の経験が今の重職を担うきっかけとなったのでしょう。
今後も自民党世耕弘成大臣の活躍を期待します。

ミサイル発射や核実験

こんにちは☆
近年、北朝鮮のミサイル発射や核実験などが数多く行われています。
衆議院議員大西英男さんは
「日本の核武装は、今後の国際情勢によって検討すべき」
と考えており、状況に応じて必要となる可能性があるとしています。

「日本の核武装が実現する可能性」

冷戦終結直後の日本には軍事的対立状態にある国家はなく日米同盟も継続していました。
そのため、政府も世論も「核を保有しなければ対処不可能な脅威」が現在の日本にあるとの認識をもっておらず核武装に対しての政府、世論のモチベーションは非常に低い状態にありました。
しかし北朝鮮のミサイル発射、核実験が続く中で北朝鮮が核開発を中止する見込みが全く無いため、一部で核武装論が主張されています。
また、日本は唯一の同盟国である米国の理解を得て核武装すべきだとする核武装論者もいます。
これは日本の核武装が決して単独防衛を目指すものでなく、米国と同盟関係を維持しながら自主的な防衛力を強化するという考えです。

核武装については、賛否両論ありますが冷戦終結直後の日本と現在の日本とでは、置かれている状況が違うのはあきらかです。
大西英男国会議員の言う様に、国際情勢によってよりよい判断をしてもらいたいと思います。

夢ビジョンJapan

数々の要職を務めてきた下村博文衆議院議員の実績を紹介します。

東京オリンピックパラリンピック担当大臣
2020年を日本にとっての新たな成長に向かうターゲット・イヤーとし、『2020ニッポン再生 夢ビジョンJapan』と題して単なる経済効果にとどまらない日本社会再生の為の゛大きなうねり゛とするために様々な取組を断行中。
東京五輪招致実現の為、世界各国へ赴きロビー活動を積極的に展開し招致成功へ大きく貢献した下村大臣。

文部科学大臣教育再生担当大臣に就任。
2012年、第二次安倍内閣において文部科学大臣教育再生担当大臣として初入閣。内閣制度創設以来、初代文部大臣(森有礼)から数えて140代目。その歴史の中で初めて教育再生担当大臣を兼務する大臣となった。
下村文科大臣主導の元、文部科学行政施策(44項目)を掲げ、教育改革に着手。
・「教育再生実行会議」、「官民協働海外留学推進戦略本部」等を設置。

様々な法案可決へ尽力
平成24年「死因究明法案」成立:諸外国に比べて日本は解剖率が低く、薬毒死についても十分な対応が取れていなかったが、下村代議士が会長(異常死死因究明制度の確立を目指す議員連盟)として4年間取り組んできた「死因究明推進法案」が可決し成立。
・平成25年には、「子どもの貧困対策推進法」および「いじめ防止対策推進法」を成立。文部科学大臣として積極的に推進し、与野党の取りまとめに尽力して大きく貢献した。

内閣官房副長官
第一次安倍内閣において内閣官房副長官に就任。2007年G8サミットにも同行するなど安倍総理の右腕として活躍。また、幼保一元化を推進するための制度改革に着手するなど様々な行政改革に携わる。

地元板橋
・「大和町交差点公害対策」、「環状8号線若木トンネルの大気汚染対策」に着手。
・大谷口地区の木造建築密集地域を視察。板橋区内の防災対策にも積極的に対策を講じる。
板橋区UR賃貸住宅にお住まいの方々に、あらゆるご要望を伺い国交省・UR都市機構と高騰する家賃の問題を解決すべく、住人と積極的に懇談会を行い状況打開へ尽力する。

東京都議会議員を二期。
都議会厚生文教委員長を務める。

中でも、教育に対する情熱は目を見張るものがあります。東京オリンピックパラリンピックでは成功はもちろんのことながら、オリンピックを通して経済の活性とオリンピック後の日本のため現在様々な取り組みを行っているようであります。
今後も自民党下村博文議員の活躍に期待したいと思います。