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大学時代の教育

衆議院議員下村博文議員の大学時代の教育に関するエピソードを紹介します。

板橋区
自由な校風に憧れ早稲田大学教育学部への進学が決まり、群馬県から上京することになり住まいは板橋区のアパートへ下宿しました。早稲田大学の学費は奨学金で賄うことが可能でしたが、親に仕送りをもらうことはできるはずもなく、家賃が安い板橋区のアパートへ下宿して、自分の生活費は自分のバイト費用でまかなうために選んだのが家庭教師のアルバイトでした。

家庭教師のアルバイトをすれば、下宿費用と食費を稼ぎかつ授業にも出なくてはいけないので、ある程度自分で融通をつけることができる家庭教師を選んだのでしょう。そしてそのアルバイトでのひとりの少年との出会いが、またしても現在の下村議員の「教育」へと向かわせるキッカケとなりました。

家庭教師として担当した生徒は小学6年生の男の子でした。少年の父親が私立大学付属の中学校へ入学させたいと願っていましたが、少年の父親自身がかつて受験してダメだった学校だったので、自分が果たせなかった夢を息子にと思ったのかもしれません。少年は今までも色々な塾へ通ってはいたものの、どうにも成績がパッとしなかった模様で他にも家庭教師をお願いしたものの少年の成績が伸びなかったこともあり、どうにかならないものかと大学生の下村氏へ家庭教師の役が回ってきました。

下村氏は父親を幼くしてなくしているため、本も満足に自分の思うとおりに購入することもできずに、自分自身で努力して大学までの道を切り開いてきました。この少年とはまったく逆の人生を今まで歩んできました。この少年は塾費用に家庭教師と、親が息子の成績を向上させるためにお金に糸目をつけずに費用を支払ってきました。少年は少年で、いろいろな塾に親から生かされて入るものの、成績もぜんぜん上がらずにどんどん落ち込んでしまい自分自身でどうせバカだし、と自分で限界を決めて勉強しても無理だと自信を失っていました。

そんな少年に対して、家庭教師としてとった行動は、あれやこれやと手取り足取り教えることなどしないで勉強は自分自身でやるものだ。とヒントを与える程度にして、自分自身で勉強させるようにしました。そして少年が自分自身で解答を導き出せば、大いに褒めてやればできるんじゃないか!と激励していくうちに、ぐんぐんと少年の成績は上り始めました。かなりの成績の伸びで、少年も勉強することへの意欲がわいたからでしょう。

少年の受験の結果は、第一志望校の私立中学こそは残念な結果でしたが、第一志望校と同じようなレベルの別の私立中学校に合格したときには、まるで自分自身が合格したのかのように少年の合格を喜びました。少年は私立中学へ進学しましたが、やがて驚くべきことがおきました。それは少年の父親の事業が傾き、一家離散状態になったしまったのです。話を聞いて少年の下を訪れたましたが、莫大な借金を背負った両親は、借金取りから身を隠すために一家バラバラで生活していて、少年だけは高校まで卒業させたいと願って親戚のところへ預けて通学させていました。

かつてはなんの暮らしに不自由もしていなかった少年でしたが、今ではまったく違った生活を送っている様子をみて、涙が止らなかったそうです。かつて教え子だった少年に、甘い言葉をかけてはいけないと「この貧しい境遇だって、モノは考えようで今回のことでもっと大きく成長することになる。奨学金制度だってあるんだし、大学へ入ったら塾の講師として面倒をみるから、それまでは頑張れ!」と教え子だった少年を激励します。すると少年は小学校時代に、自分に自信を持てなかった少年時代とはまったく違った逞しい表情で「分かってるから。」と自信に満ち溢れた表情で力強くうなづきました。

勉強が最初からできない子供などいない。それぞれが自分の中にある優れた能力に気が付いていないだけで、環境だったり自分自身の気持ちの持ち方で勉強をする意欲を失っているのではと思い、勉強を通じて子ども自身の能力に気づかせることができるのでは?!と思うようになります。そして早稲田大学4年生のときに、友人達へ声を掛けて塾を開校します。

開校した塾は小学生を対象にしつぁ学習塾で、名前は「博文館」です。「博文館」では勉強だけを教えるのではなく、様々な体験をさせるという取組みを行いました。合宿をしたりマラソンをしたり、また外へでてキャンプをしたりと学習塾の枠を超えた取組みをしました。学校の授業についていけないから非行に走るといった、いわゆる落ちこぼれたちが多く塾に集まることになり、子ども達と真正面からぶつかり数多くの子供たちと接する上で感じたのは、問題児を生み出しす公的な教育現場と、非行に走った子ども達の行き場がないという、教育の現状です。

塾を開いたことで小学生の子ども達が、勉強を学ぶために塾に通いそんな教え子達と接して行くうちに、日本の抱える教育現場の問題点を感じるようになります。教育現場の様々な疑問を抱くようになり、それが現在の議員活動へと繋がり国会議員として、教育改革論を語る基礎になったのはこの塾を通じてのことになったといえるでしょう。

早稲田大学教育学部を卒業しても、塾経営は続けて他の私塾とも関わりまた地域に根ざしたネットワークを造り、公的な教育現場ではなく民間というフィールドでもって新しい教育のい形を実現しようとしました。学校では平等を重んじるばかりに、全国で一律そして運動会での一等賞をやめて、努力をしても一等賞をもらえない教育をするようになっていることに疑問を抱いたからでしょう。塾を運営しているうちに、「教育」がライフワークになったといえるでしょう。

早稲田大学へ入学して、最初は家庭教師から教えることの教育に携わるようになりやがて学習塾を在学中に開いていますが、もちろん大学生活もしっかりと送り大学に在学中の時には、数々の政治家を輩出した弁論クラブの早稲田大学雄弁会へ所属しています。もちろん雄弁会へ所属したメンバーのみんなが政治の世界へ入っていませんが、政治評論家やマスコミを始めとしたジャーナリストなどになっている卒業生が多いだけに、雄弁会を選んだ時点でおそらくいつかは政治家に・・と言う思いがあったのではと思います。

下村博文議員の教育への関心の高さは自らの幼少時代の影響ばかりだと思っていましたが、大学時代の家庭教師、塾講師の経験も反映してるんですね。
今後も自民党下村博文議員の活躍に期待します。